愛宕事務所で行われている被団協資料の整理作業を指導してくださっている昭和女子大の松田忍先生が、同大歴史文化学科のブログにこの文書整理作業のもようを紹介しておられます。(8月2日付など)
http://content.swu.ac.jp/rekibun-blog/
歴史家の目でみた被団協文書についての見方、評価は、運動の観点からのそれとはまた異なり、とても示唆に富んでいます。その一節をここに紹介させていただきます。
「まだ文書整理会は数回しか開かれておりませんし、被爆者運動を研究しているわけでもない私が、この文書群を専門的に語る資格はありません。しかし、あくまでも現時点までで松田が認識している、被団協文書を整理することの意味を申しておきます。
1点目は、機関誌や内部通信文書の保存です。整理の過程で、『被団協連絡』といった基本的な史料ですら、現時点ですでに欠けている号があることがわかりました。しかしいまなら、欠号状況が分かれば、各関係機関に問い合わせることで補うことも可能です。冒頭で申し上げたような状況〔引用者注:被爆者の数が年々減り続け、活動を休止する団体も出てきている〕にある以上、今がまさしく「ラストチャンス」だと思っております。また史料整理をやってみて分かったのは、各県や各地で原爆運動をやっている大小さまざまな団体が数多く存在し、そうした団体の機関誌やパンフレットが大量に被団協に送られてきているという事実です。被爆者運動は広島、長崎、あるいは東京だけの運動ではないことが実感できます。被団協には断片的にしか存在していない各団体の史料も、被団協文書の史料目録が出れば、史料が存在しているという事実を共通認識として持つことができます。そうすれば、欠号を補おうとか、場合によってはデジタル化して保存しようといった動きも出て来るのではないかと思います。
2点目。この文書群は、戦後の言論空間において「運動の言葉」がどのように練り上げられたかを豊かに指し示してくれる可能性があるということです。たとえば自ら被爆者として国連で演説し、昨年亡くなった山口仙二氏の演説原稿は第1稿から第4稿(完成稿)まで存在していますし【写真④】、「基本要求」を作っていく過程での20数回の書き直しも残されています。当時刊行された史料、されていない史料双方を解読することで、「運動の言葉」の変遷を非常に高い密度で追うことが可能となるでしょう。それはまさしく歴史学の仕事です。
3点目。被爆者に対する各種アンケート調査の結果を調査原票にまでさかのぼってみることができるということです。被団協によせられた被爆者やその家族の生の声は、まさしくここにしか存在しない「一点物」の史料であります。今、整理・保存しなければ、その声は永遠に失われると考えると、胸が引き締まる思いがします。
現在、戦後史料は次々と整理されています。運動の側だけではない他の史料群ともあわせながら被団協文書を読むことで、どのような戦後の歴史像が描きだされるのでしょうか。現在進行系で進んでいる、戦後を歴史的に捉えようとする試みにとって、この史料群の存在は大きな価値があると思います。」