■ 収集資料のアーカイブ構築に向けて
資料庫部会では、日本被団協が所蔵する資料と会が収集してきた資料のうち、書籍・冊子類(0:総合(目録・戦災誌、年史)、1:手記・体験記、2:原爆文学・芸術、3被爆者調査・研究、4.被爆者運動史、5:核兵器・原水禁運動、6:継承(平和教育ほか)、9:空襲・沖縄・アウシュビッツ等 の8ジャンル)については、目録整理がほぼ終わりました。
さらに収集を継続する一方で、これらをもとに継承する会としてのアーカイブ(電子化して広く利用することが可能な資料のデジタル・アーカイブを含む)をつくり上げていく予定です。
その構築のためには、専門家の助言、協力が不可欠です。1月31日(火)に資料庫部会の濱谷、栗原がアーカイブ学の専門家・加藤聖文先生(国文学研究資料館研究部准教授)を訪問、継承する会の概要を紹介し、歴史資料の現状やデジタル化に伴う問題点、歴史資料における文脈(誰が何のためにつくったかが分かるようにしておくこと)の重要性、資料整理のすすめ方、個人情報や著作権についての考え方など、懇切丁寧なお話をうかがうことができました。4月には、南浦和の資料室で実際の資料をご覧いただきながら、ご相談ができる予定です。
また、各都道府県の発行した手記・体験記、運動資料については、昨秋開かれた日本被団協全国都道府県代表者会議で、各県代表の方々に各会で発行された資料の収集状況一覧をお渡しして、発行資料の確認と未収集資料のご寄贈をお願いしました。これをさらに徹底し、資料の保存とWeb公開へのご協力をいただくため、2月21日(火)、日本被団協の田中事務局長、木戸事務局次長、和田事務局次長・工藤事務局員(資料庫担当)と濱谷、栗原が打ち合わせをしました。
すでに会が解散した県も含め、各県ごとの状況をおさえて対応策をとるために、日本被団協として各地の会とつなぐ担当者を置いていただき、また、アーカイブ構築のための推進体制に被爆者委員として加わっていただくことなどを確認しました。
■ 相次ぐ図書類の寄贈
継承する会設立から5年、会の柱の一つである資料収集・整理を担う資料庫部会では、被爆者運動が残した資料を散逸しないうちに収集するため、関係者に資料の寄贈を呼びかけてきました。
亡くなられた役員のご遺族はもとより、できればご本人が元気でおられるうちのご寄贈(生前贈与)を、の呼びかけに、三宅信雄さん(埼玉)が応えてくださいました。昨年8月に志木市のお宅を訪問し、資料の現状を見せていただきました。東京・世田谷区に在住時、東友会がとりくんだ被爆50年「未来への伝言」の区内被爆者分の証言、会報のバックナンバー、各所で証言したときの原稿・レジュメや報道記事、ピースボー ト乗船時のアルバム・動画など、資料はファイルに綴じて書架やキャビネットにぎっしり収められています。そのなかから、『今を生きぬいて 2006実態調査報告書』(世田谷同友会)、『生死の火―広島大学原爆戦災誌』(1975、広島大学原爆死没者慰霊行事委員会)をはじめとする段ボールいっぱいの書籍や資料を12月20日、三宅さん自身が南浦和の資料室に持参し寄贈してくださいました。[写真]まだ、使用中の資料についてもリストをつくり、息子さんに申し送ってくださるということです。
また、賛助会員の石田俊明さん(千葉、元教員)からは、個人研究のために収集された原爆関連図書をご寄贈いただきました。大田洋子『屍の街』(1972、潮文庫)、原民喜『夏の花』(1973、晶文社)、『永井隆全集 全1巻』(1971、講談社)などの文学書や、金井利博『核権力 広島の告発』(1970)、中国新聞社の『ヒロシマの記録』(1975~)など100冊余り。会として未入手の文献はもとより、原爆関連の基本的文献を複数冊所蔵できるのはありがたいことです。
お2人のご協力に深く感謝申し上げます。
■ 被爆者運動資料の整理作業へ事前学習会も
今年も2月23日(木)から、昭和女子大の歴史文化学科の松田忍先生と学生さんらによる春休みを利用した被爆者運動資料の整理作業が始まります。今回は、3月11日(土)までの6回にわたり延べ約30人が参加。日本被団協の資料はほぼ終わったので、被爆者の自分史関連の資料(静岡から九州分)に加え、愛知から送られてきた1977NGO国際シンポジウムの調査票など各県被爆者運動関連資料の整理にとりかかる予定です。
これに先立つ2月18日(土)の午後、昭和女子大の歴文研究室で、松田先生のご指導により事前学習会が開かれました。あらかじめ『被爆者たちの戦後50年』(栗原著、1995、岩波ブックレット)を読んでこられた学生さんの中には、高校時代の修学旅行で被爆者の話を聞いたことがある人や、広島に住んで平和教育を受けたことのある人もいて、戦争や原爆についての関心も深く、テレビの報道や教科書で知ったつもりでいたが、資料整理をつうじて被爆者の思いを感じとりたい、被爆者の要求や歴史の一部を抹消してはいけない、など意欲的な発言が相次ぎました。