今年も夏休み期間中の8月2日から29日までの6日間、愛宕事務所において、昭和女子大生による被団協運動史料の整理作業がおこなわれました。
今回は、4月に発足した同大の「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト~被団協関連文書~」に属するメンバー12人(歴史文化学科)がシフトを組み、延べ26人が参加。1970年代後半から被団協の国際活動の中心になって活躍された故・小西悟さんの資料の目録どりに続いて、神奈川県原爆被災者の会平塚支部の古谷三千雄さん(2012年12月死去、享年93歳)が遺された資料の整理にあたりました。
手書きの時代からこつこつと発行しつづけてきた平塚支部の会報「ささのつゆ」や、写真を含む「母と子の原爆展」の記録、独自の被爆者実態調査の原票など、地域でのきめ細かい支部活動がうかがえる資料の数々に、しばし読みふける姿も。休憩時間には、広島・長崎での祈念式典についての感想を述べ合い、また、世間一般に期待される「証言」と被爆者が本当に語りたいことは異なっているのではないか、など、資料を読み込んで来た人たちならではの関心の深まりを感じさせられる議論も活発に交わされました。
「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト」は、4年をかけて継続されます。1年目の今年は、中央・地域で被団協の運動を担ってきた人たちから数人を選び、「被爆者のその後の人生」や「それぞれの被爆者が何を伝えたいのか」といった、被爆者個人に焦点をあてた分析を進めています。その一端が、11月10日(土)・11日(日)に開催される昭和女子大学の文化祭「秋桜祭」で発表される予定です。
プロジェクトリーダーの吉村知華さん(3年)は、「プロジェクトとして初めての発表の場である秋桜祭では『被爆者になること、被爆者として生きること』というテーマで各班がそれぞれ調べてきた被爆者の方々を取り上げます。報告を重ね共有していくうちに、調査対象としてきた方々の人生には「被爆者となる瞬間」があるのではないか、という疑問がうまれました。
お父様の遺品として残っていた腕章を見て、自分が被爆者であることを自覚し始めた方や、他人に言われて自分が法律上は被爆者であると知った方、爆心地の近くにいたにも関わらず自分は運良く助かったが、近くにいた人は皆命を落としてしまったという経験をした方など、被爆者全員が同じ時期に「被爆者」としての自覚を持ち始めたわけではないのでは?「被爆者になる」とはどういうことなのか?という問いを探っていきたいと思います」と語っています。
被団協史料をもとに研究した展示を、ぜひご覧くださいますようご案内いたします。
昭和女子大学 〒154-8533 東京都世田谷区太子堂 1-7-57
【交通】東急田園都市線(地下鉄 半蔵門線直通)「三軒茶屋」駅下車 徒歩7分
展示会場は、1号館3階 3S07教室 (予定)