日 時:2016年9月9日(土)13:30~16:30
場 所:プラザエフ5階会議室、
問題提起者:瑞慶山 茂氏(弁護士)
参加者:30人(うち被爆者12人)
【概 要】
この回の学習懇談会は、結成60年事業の一環として「沖縄交流ツアー」(12月)を行う日本被団協との共催企画として行われました。
問題提起者の瑞慶山茂さん(弁護士)は、幼少時、南洋パラオからの避難船沈没から生き残りました。沖縄戦被害者には民間人を排除した「軍人軍属遺家族等援護法」(「戦闘協力」が条件)が適用されてきましたが、2010年、この申請を却下された人、申請しなかった人たちで「沖縄・民間戦争被害者の会」を結成。一般民間被害者を救済する目的の「新援護法」の制定運動(立法的解決)とともに、沖縄戦、南洋戦の被害への国家責任を問う国家賠償請求訴訟(司法的解決)をめざしています。
死者が県民の1/4にあたる15万人にも及んだ沖縄戦では、唯一地上戦で空・海からの攻撃にさらされただけでなく、住民虐殺、「集団自決」、壕追い出しなど日本軍が住民に対する加害者であった点が、原爆や空襲の被害と異なる特徴だ。こうした日本軍の不法行為責任をポイントに賠償請求訴訟をたたかったが、地裁判決は戦時中には根拠とする法律がなかったという「国家無答責論」を楯にした血も涙もないものだった。戦争損害とは最大の人権侵害であり、基本的人権は憲法以前の権利として明治憲法の下でも保障されていたはずだ。控訴審では、PTSDなど被害実態を前面に出し、国家無答責論は戦闘行為には及んでも、住民に対する日本軍の行為は正当な軍事行動とは言えず、そこまで及ばないのではないかと追及していきたい。
国家補償制度の確立をめざしては、改めて戦争責任とは何か、原点を見直す必要がある。それは、誰かを裁いて処罰するということではなく、国家責任としての戦争損害賠償責任を指している。基本的人権の侵害に対する被害回復、謝罪と償いを求める権利はこちらがもっており、交通事故と同じで、被害者が加害者に請求するのは当たり前のこと。それが戦争被害の場合はあべこべになっている。
質疑討論の概要は次のとおり。
戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用拡大により、一般住民を「戦闘参加者」として救済することで、戦争に協力したと認められない者をオミットしてきたことが足かせになってきたのではないか?
遺族会は当初から、軍人・軍属だけでなく全住民の被害者への補償要求を掲げてきたが、沖縄戦の被害を救済する法律は「援護法」しかない。これは対政府への要求で、国会や司法は念頭になかった。そのため未補償の死者7万人、重傷者5万人が残されており、その後40年間運動がおこっていなかった。
基地の原点は沖縄戦の被害にある。戦争被害は最大の人権侵害。その被害回復の(国家賠償を求める)たたかいと基地に反対するたたかいは結びつかねばならないが、実態としてそうした運動になっていない。
損害賠償を求めるにしても、沖縄戦では、国も県も戦争損害については調査さえ行っていない。実態にあった調査要求もしていこうと思っている。また、被害の額は損害賠償額で出さないと意味がない。交通事故の場合の計算式を使って試算してみたが、どれだけ損害を受けたか、戦争とはいかに金のかかるものかを示すことは大事だ(戦争の遂行にいくら金を使っているか)。財政論は別な配慮、基本的な要求を下げる必要はないのではないか。
被害回復のたたかいと被害継承も一体としてとりくむべき課題。被害がひどかったというだけでは、後世の人から、当時の人は被害回復、償いを求める運動をどうたたかったのか、歴史的な検証をうけると思う。被害の実相を伝えるだけでなく、それとどのように向き合ってきたのかを伝えたい。