日 時:2020年1月18日(土)13:30~16:30
場 所:プラザエフ5階 会議室、参加者35人(うち被爆者6名)
問題提起者:根本 雅也氏(明治学院大学)/「平和の思想」(2019年度一橋大学大学院授業)受講生
今回のテーマは「彼らは何を訴えるのか―被爆50年原爆被害者調査(自由回答)の報告―」。「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(現行法)が制定された翌1995年に日本被団協が実施した「原爆被害者調査」は、この法についての意見などの自由記述回答が未集計のまま残されていました。四半世紀を経た昨年、一橋大学大学院の授業「平和の思想」でその整理・分析にとりくんだ根本雅也さんと受講生12人によってまとめられた報告書のエッセンスをもとに報告していただきました。
■ 報告のあらまし
今回集計の対象となった50年調査の項目は、問23「援護に関する法律」についての意見/問24 原爆被害への国家補償と核兵器廃絶を求める被爆者運動についての考え方/問25 次世代に伝えたいこと の3つでした。
1.回答の傾向として特徴的だったのは、全体の1/4以上が「国家補償」に言及していることでした。
「法」の評価をめぐっては、回答者の圧倒的多数が何らかの不満を述べている。その理由は、(1)死没者を含む〈被爆者の視点〉が欠落している、(2)国家補償が欠落していることへの極めて大きな不満、(3)死没者の扱いに対する不満、(4)特別葬祭給付金をめぐる不平等、など。
回答の時点での平均年齢は68歳。「高齢化」への言及も多く、それは運動への焦りを生み、さらなる運動へと駆り立てる一方で、手遅れや諦めの感情も間見られる。
2.被爆者運動の評価や運動のすすめかたをめぐっては、国の戦争責任としての「国家補償」と「核廃絶」という二大要求を土台に、運動の「継続」を求めたものが多くを占めていた。その上で、運動の方法(語り部活動、行政への働きかけ、法改正、平和教育、米国・核保有国への働きかけ、内外世論の喚起など)や担い手(被爆者自身、非被爆者・他の戦災者、海外の人々、二・三世や若者)についての言及がみられる。「被爆50年」という時代背景のもと、体験の風化への危機感から、書き残す、伝えることを強調した回答が目立つ。
3.次世代に伝えたいこと、では、何を、誰に、どのように伝えるのかは多様だが、伝えたいことは、①平和、②核廃絶・戦争への反対 にくくられる。
現在の状態を「平和」としてそれを守ろうとするものに対し、現存する核兵器や原発、戦争などがなくなる真の「平和」の実現をめざす回答が多数を占める。また、「戦争」と「核」は同時に記されることが多く、被爆者においては、「戦争がなければ原爆もなかった」という考えが前提にあり、核廃絶と反戦が地続きになっていることがうかがわれる。
■ 被爆者のことばから学んだこと
討論に先だって、水俣病や国際政治、沖縄戦の記憶の継承、わだつみ会など、様々なテーマを専攻している受講生のみなさんから、この調査の分析作業をつうじて四半世紀前に書かれた被爆者のことばに向き合うなかで学んだことが縷々語られました。(その一部を紹介します)
○ 全国にこれだけたくさんの被爆者がいる現実を知り、これまで広島・長崎=被爆者を直結させ過ぎていたと思った。25年の時をへて、被爆者の高齢化、死がいっそう進行していることを痛感し、その後私たちはどう生きていくかを考えさせられた。
○ 祖母が被爆者。広島では聞き流すことも多かったが、「平和」ということばには様々な意味が含まれており、時代や人によりその実は様々であること。誰が、どんな立場で…と具体的に、真剣に考える機会になった。
○ 被爆者は誰に対して、どんな声をあげているのか。被爆体験は画一的ではなく、求めることもそれぞれ異なることを実感した。それをすべて包括できるのが「平和」だろうが、現実には「平和」の名のもとに戦争が行われてきた危うさもある。誰に対して、何を指しているのか、厳密に考えていくことが重要だと思った。
○ 悲惨な体験は語りえないし、語りたくもないだろうが、どんな経験があっても、語らなければなかったことになってしまう。後世のために重い口を開いて語ってくださったことに、ありがたみをもって向き合っていきたい。
○ 原爆は広島・長崎のこと、教科書に書かれている過去のことと思っていたが、被爆者の苦しみはずっと続いており、平和への希望も未来に続いていることを知った。過去―現在―未来がつながっているなかで、今自分が生きていることを内省した。メディアが報じる特定の日に思い起こすのではなく、たくさんの語りで感じたことを自分の中に刻み、意識の中にもちつづけていきたい。
○ 『広辞苑』には、「平和」とは戦争がなくて世が安穏なこと、と書かれている。が、自分の見える範囲に戦争がなければ「平和」なのか、戦争への設備(軍事施設など)があって「平和」と言えるのか、といった問題が残る。平和の思想とは、つねに問いつづける、安住しない姿勢と考えてきたが、この作業をつうじて、国家補償の援護法は国が戦争することへの抑止力として国家をしばり、未来の平和を志向していくものであることを知り、法律・制度によって未来の平和を実現していく、という“実践としての「平和の思想」”を学ぶことができだ。
■ 討議のあらまし
被爆50年調査実施の中心となった田中熙巳さんをはじめとする被団協の関係者、自由記述回答の入力をされた吉川幸次さん、被爆者運動から学んでいる昭和女子大学や立教大学の学生など、多彩な参加者との討議も活発に行われました。そのなかで、核兵器廃絶と国家補償の二大要求は密接不可分な関係にあるとされながら、国家補償の受けとり方は多様であり、被爆者の中にも支援者にもぶれがあるのはなぜだろう、との疑問もありました。
根本さんは、今回の分析では何が書かれているかの傾向は把握できたが、それが何故か、その背景の分析にまでは及ばなかった。今後の課題として考えていきたい、と発言。また、一橋院の「平和の思想」授業科目を創設した責任者でもあり、第11回目の学習懇談会(2018年10月)で、法制定直後に開かれた日本被団協代表者会議における議論を映像を交えて報告した濱谷正晴さんからは、そこでは全国から参集した代表者ら80人が異口同音に国家補償の重要性について発言していたが、今回の報告書を読むと、それがそこにいた代表だけでなく、もっと裾野にまで生まれ培われてきていたことがよく分かる資料となっている、と指摘されました。
「法」制定時の被爆者たちが交わしていた議論は、残念ながら、その後必ずしも深められてはきたとは言えません。DVD化された映像と今回の報告を活かしながら現行法とその後の運動について検証していくことは、被爆者運動にとってはもちろん、私たちがそこから何を受け継ぐかを考えるためにも、貴重な資料となることでしょう。